第31章 地方会議と総会議について
1 教会のより良い政治となお一層の建徳のために、普通に地方会議または総会議と呼ばれるような会議が、当然あるべきである(1)。

  1 行伝15:2,4,6


2 為政者が、宗教の問題について協議しまた助言するために、教役者やその他の適当な人々の地方会議を合法的に召集できるように(1)、もし為政者が教会に対する公然の敵であるなら、キリストの教役者らは、彼ら自身で、彼らの職のゆえに、あるいは彼らの教会からの代表団である他の適当な人々と共に、このような会議に会合することができる(2)。

  1 イザヤ49:23、Tテモテ2:1,2、歴代下19:8-11、歴代下29章、30章、マタイ2:4,5、箴11:14
  2 行伝15:2,4,22,23,25

〔1787年合衆国長老教会総会改訂「教会のより良い政治となお一層の建徳のために、普通に地方会議または総会議と呼ばれるような会議が、当然あるべきである。そして、このような会議を定めること、また教会の益のために当を得ていると判断する都度これを召集することは、その職務と、破壊のためでなく建徳のためにキリストから与えられた権能とのゆえに、個々の教会の監督者やその他の統治者たちに属する」。日本基督改革派教会第4回大会採択〕


3 信仰についての論争と良心の問題を決定すること、公的神礼拝と神の教会の政治とをより良く秩序付けるための規則や指針を定めること、失政の場合に告訴を受けること、それを権威をもって裁決することは、代理的に地方会議また総会議に属する。その決定や制定は、神のみ言葉に一致しているならば、それが神のみ言葉に一致しているためだけでなく、それを下した権能のためにも、尊敬と従順をもって受け入れられなければならない。その権能はみ言葉において命じられた神の規定だからである(1)。

  1 行伝15:15,19,24,27-31、行伝16:4、マタイ18:17-20


4 使徒時代後のすべての地方会議または総会議は、世界的会議であっても地方会議であっても、誤りを犯しうるし、また多くの会議が誤りを犯した。それゆえ、会議は信仰と実践の規準とされてはならず、両者における助けとして用いられるべきである(1)。

  1 エフェソ2:20、行伝17:11、Tコリント2:5、Uコリント1:24


5 地方会議や総会議は、教会的な事柄以外の何事も取り扱ったり決定してはならない。また非常の場合における謙虚な請願として、あるいは国家的為政者から求められた場合には良心の満足のための助言として以外は、国家に関係している世俗的事件に干渉してはならない(1)。

  1 ルカ12:13,14、ヨハネ18:36