教会規程第3部 礼拝指針 (1953年10月22日 第8回大会定期会)
改正 1967年 第22回定期会
1975年 第30回定期会
第1章 主の日の聖別
第1条(主の日の準備)
主の日をおぼえること、またそのために前もって準備することは、すべての者の義務である。聖書が要求する安息日の聖別が妨げられないよう、この世のすべての業務を整理しなければならない。
第2条(終日の聖別)
この日は、終日、主に対してきよく守られ、礼拝と安息のために用いられるべきである。従って、不必要な労働と、この日の神聖にふさわしくない娯楽とは、さしひかえなければならない。
第3条(使用人への配慮)
この日には、使用人やその他の人々が、公的礼拝と安息日の整別とを妨げられないように、家事を整えておかなければならない。
第4条(公的礼拝への準備)
信者とその家族は、公的礼拝における神との交わりのために、次のように準備すべきである。すなわち、自分と他人のため、とくに牧師とその奉仕のために祝福を祈ること、聖書を読むこと、きよいめい想をすること、などである。
第2章 礼拝出席と礼拝中の行動
第5条(礼拝出席)
公的礼拝のすべてを一つ心で守ることができるように、定刻までに着席するよう留意しなければならない。また、祝祷が終わるまでは、必要なく席を離れてはならない。
第6条(礼拝前の態度)
礼拝出席者は、礼儀正しく敬けんな態度で着席し、自分・牧師・出席者・欠席者のために、黙祷をささげるべきである。
第7条(礼拝中の態度)
出席者はみな、公的礼拝の場にふさわしくない行動を避けて、敬けんな思いで列席しなければならない。こどもたちも、その両親とともに列席すること、すなわち、家族一同が神の家でともに列席することが、とくに重要である。
第3章 公的礼拝の要素
第1節 聖書の公的朗読
第8条(礼拝行為としての朗読)
礼拝における聖書朗読は、公的礼拝の一部分であり、教師またはその他資格ある者が、これにあたるべきである。
第9条(朗読範囲)
朗読の範囲は、教師の判断にまかされる。すなわち、教師は、賛美・祈祷・説教など、他の礼拝の要素と調和するように、時間の配分を考慮すべきである。
第2節 詩篇と賛美歌
第10条(礼拝行為としての音楽)
音楽によって神を賛美することは、義務であり、また特権である。従って、賛美歌や詩篇を歌うこと、また楽器を使用することは、公的礼拝の重要な部分である。
第11条(賛美の態度)
賛美歌は、歌詞を理解し、礼拝の精神をもって歌わなければならない。全会衆がこの礼拝行為に参加できるよう、充分に配慮することがのぞましい。
第12条(歌の選択)
古い衆知の賛美歌とともに、新しい賛美歌も歌うことがのぞましい。しかし、新しい賛美歌の選択には注意しなければならない。賛美歌は、賛美の調子を有し、説教の精神と一致しなければならない。
第13条(指導者と聖歌隊)
賛美歌の歌唱指導は、小会の判断にまかされる。小会は、歌唱指導者を選任するにあたり、その人の品性を考慮しなければならない。
また、聖歌隊の合唱が、会衆の合唱にとってかわってはならない。
第14条(賛美の時間)
賛美にあてられる公的礼拝の時間の長さは、教師の判断にまかされる。会衆が詩篇や賛美歌を歌うことは、奨励されなければならない。
第3節 公的祈祷
第15条(開会・閉会の祈り)
公的礼拝は、頌栄と短い開会の祈りをもって始めることが適切である。この祈りで、教師は会衆を導き、聖霊の臨在と力とを求める。この祈りは、会衆一同の主の祈りをもって終わるのがふさわしい。通常、公的礼拝は祝祷をもって閉じる。
第16条(説教前の祈り)
説教の前に、次の要素を含む祈りをささげるべきである。
頒栄
感謝
罪の告白
あがないの血による罪のゆるし・神との平和・ならびにそれより生ずるすべての祝福を求める
祈願
歎願
とりなし
すべての人への聖霊の注ぎのため・人々のすべての階級と境遇のため・市民と公僕のため、またその他ときにかなったこと、などのための祈祷。
第17条(説教後の祈り)
説教のあとの祈りは、通常、説教の内容に関連させるべきである。
なお、その他のすべての公的祈祷は、その場合にふさわしいものでなけれはならない。
第18条(教師の態度)
教師は、公的礼拝の祈祷文に拘束されてはならないが、説教と同様、公的祈祷のためにも準備すべきである。教師は聖書に精通し、祈りに関する最良の文書を研究し、めい想により、また神との交わりの生活によって、祈りの精神と賜物とを受けるようにはげまなければならない。
さらに、公的礼拝において祈りをささげる時には、精神をしずめ、思いをととのえ、品位と礼節をもって礼拝者の益となるように、この努めをはたさなければならない。
第19条(会衆の態度)
公的祈祷のあいだ、会衆の態度はいつも敬けん深く、できるだけ一つになるべきである。
第4節 み言葉の説教
第20条(説教の重要性)
み言葉の説教は、人の救いのために神が定められたものであって、これをなす態度には慎重な注意が払われなければならない。教師は専心これにあたり、真理の言葉を正しく教え、恥じるところのない働き人であることをあかししなければならない。
第21条(説教と聖書)
説教の目的は、聖書の教えをときあかし、それを会衆に適切に適用することである。説教がもとづく聖句の長短は、説教者の判断にまかされる。聖句は、単に標語として使用されてはならない。
第22条(説教者の心得)
説教には、多くの研究・めい想・祈りが必要である。教師は、その説教を慎重に準備すべきであり、不謹慎な即興演説にふけったり、価値のない無用の説教をもって神に仕えたりしてはならない。しかし、教師は福音の単純性を固守し、すべての人々に理解される言葉で表現すべきである。また教師は、自己の生活によってその説教する福音を飾り、言葉と行状において信者の模範でなければならない。
第23条(説教の時間)
公的礼拝の主要な目的は、礼拝のすべての行為に会衆をあずからせることにあるので、教師は、祈りと賛美を妨げる長い説教を慎しみ、礼拝の各部分の正しい均衡を保たねばならない。
第24条(説教者の依頼)
中会より派遣された場合を除いて、他から説教者を招く場合には、牧師または小会の承諾が必要である。
第5節 献金
第25条(献金の精神)
聖書の教えによれば、神が万人万物の所有者であって、われわれは単に生命と所有物との管理者にすぎない(スチュワードシップ)。それゆえ、収入のうちから相当の割合を教会へささげることによって、神を礼拝しなければならない。またその残余は、キリスト信者にふさわしく使用しなければならない。
第26条(献金の特権)
教会を支えるため、内国外国の福音宣教のため、また貧しい人々の救済のために、規則正しい・毎週の・組織的な・ふさわしい献金をささげることは、聖書が明らかに命じている特権であり、また義務である。これは、感謝のあらわれ・また神礼拝として、礼拝中の適当な時に行なわれるべきである。
第27条(献金の祈り)
献金感謝の祈りによって、献金の礼拝的要素が強調されるべきである。
第4章 教会学校
第28条(教会学校の目的)
教会学校とは、教会の教育事業が主として行なわれる組織をいう。それには、日曜学校・週日学校・休暇中の聖書学校・その他がある。その目的は、キリスト者の成長と完成であって、それは、主イエス・キリストにおいて啓示された神への信仰・キリストに対する救い主また主としての告白・キリストとの生命的交わり・キリスト者生活と教会員生活とへの明確な献身・教会の全活動への参与などによるのである。
第29条(教会学校教育の対象)
教会学校は、その目的に従って、契約の子らを訓育し、成人会員を教え、さらに未信者と未信者の子らに教育的伝道を行なうものである。
第30条(教会学校の働き)
教会学校にふさわしい働きは、礼拝・教育・交わり・献金・および奉仕である。しかしこれらは、主の日の正規の礼拝や両親による訓育を妨げてはならない。
第31条(小会の監督)
小会は、すべての教会学校を監督し、その校長を選任する。校長は、牧師の同意を得て教師を小会に推薦し、小会はこれを任命する。小会は、教会学校の状況とその必要について常に報告を受け、その充分な活動に必要なものを備えるように配慮すべきである。
第32条(教会学校教師)
教会学校の目的実現は、教師の人格と資格に大いに依存する。教師は、信仰歴、動機、人格、才能、教育的理想、キリスト者品性の向上と授業の熟練とへの熱心などにもとづいて、選任されなければならない。その働きのためには一定の訓練が要求され、またそれを受ける機会が備えられなければならない。教師はその召命を、神聖な、もっとも重要なものと確信して、毎週周到な準備をし、規律正しく勤め、学校の方針と他の教師たちとに誠実でなければならない。
第33条(教会学校教案)
聖書と教理問答書とは、教会学校の主要な教科書であり、すべての教育過程の中心である。教会学校の教案は、霊的生活・伝道・キリスト者の訓練・キリスト教的生活管理(スチュワードシップ)・またキリスト教的社会奉仕などのために適切な信仰教育を施すよう編成されるべきである。
校長は、牧師とともに、小会に対し教会学校の教案について責任を負う。
第5章 祈祷会
第34条(祈祷会の指導)
祈りのための諸集会は、小会の指導の下に守られなければならない。これは、できるだけ定期的に、不可能なときは特定の時に守られる。祈祷会は、牧師・長老・教会の適当な会員・または牧師か小会が招いた人によって、導かれなければならない。
第35条(祈祷会の内容)
祈祷会の内容は、祈り・賛美・聖書朗読・教え・すすめである。
祈祷会は、聖書研究、伝道・スチュワードシップ・教会史・教会とその計画に関する諸問題の研究により、または伝道的その他の宗教的催し物によっても、みのりゆたかにされる。牧師と小会は、霊的な・興味ぶかい・活気ある祈祷会にするよう努力すべきである。
第36条(祈祷への奨励)
教会員は、老若を問わず祈祷会に参加し、積極的に祈るよう奨励されるべきである。
第6章 洗礼式
第1節 幼児洗礼
第37条(親の義務)
洗礼において子を神にささげ、それによって親と子に対する神の契約の約束を求めることは、親の義務また特権である。それゆえ、洗礼は、不必要に延引されてはならない。
第38条(授洗者)
洗礼はどのような場合も、神の奥義の管理者として召された教師によってのみ、施されるべきである。
第39条(授洗の場所)
洗礼は、通常、教会の公的礼拝において執行されるべきである。しかし必要なときには、教師の判断により、他のところで施される。
第40条(誓約者)
子の洗礼を希望する両親・片親・または他の責任者は、あらかじめ小会または宣教教師に申しで、洗礼式で誓約しなければならない。
第41条(洗礼の教え)
洗礼にあたって、教師は、この礼典の制定・性質・効用・また目的について、次のように教示しなければならない。すなわち、
洗礼はキリストが制定されたこと、
信仰による義の保証であること、
旧約のもとにおいてアブラハムの子孫が割礼の権利を有したと同様に、福音のもとにおいて信者の子孫は洗礼の権利を有すること、
キリストが「すべての国民に洗礼を施す」よう命じられたこと、
キリストが「天国はこのような者の国である」と言われて、幼児を祝福されたこと、
福音の約束は、信者とその家族に与えられていること、
使徒たちも家族の洗礼を施したこと、
われわれは、生まれながらに罪ととがと汚れのある者で、キリストの血とみたまによるきよめが必要であること。
第42条(すすめ)
教師は誓約者に、次のような義務をはたすよう、すすめなければならない。すなわち、 子が神の言葉を読むように教えること、
旧新約聖書にあるキリスト教教理を教えること(両親は、この重大な義務を遂行するにあたって、教会が信仰規準として採択したウェストミンスター信仰告白と大小教理問答書を用いるべきである。その他、ハイデルベルク信仰問答書およびジュネーブ教会信仰問答書も有益である)、
子とともに、子のために祈るべきこと、
子の前に信仰と生活の模範を示すこと、
神の定められた恵みの全手段を用い、主の薫陶と訓戒とによって、子を育てるように努めること。
第43(誓約)
そののち、教師は、次のような誓約を求める。すなわち、
1、「あなた(がた)は、あなた(がた)の子に、イエス・キリストの血による罪のゆるしと、聖霊による生まれ変わりの恵みが必要であることを、認めますか」。
2、「あなた(がた)は、子のために神の契約の約束を信じ、求めますか。また、あなた(がた)は、自分のためになすように、子の救いのためにも、ただ主イエス・キリストに依り頼みますか」。
3、「あなた(がた)は、今、あなた(がた)の子を全く神にささげますか。あなた(がた)は、謙虚に神の恵みに依り頼み、あなた(がた)の子の前に敬けんの模範を示し、彼とともに・また彼のために祈り、教理を教え、また主の薫陶と訓戒のうちに彼を育てるように努めることを、約束しますか」。
第44条(授洗)
誓約ののち、教師は祝福を祈り、子の名を呼び、
「父と子と聖霊の名によって洗礼を授ける、アァメン」
と言って授洗する。
この言葉のほか、どのような儀式も付加してはならない。
第2節 成人洗礼
第45条(試問)
まだ洗礼を受けていない人が、信仰を告白し、教会への入会を希望するときは、小会によって信仰上の知識と敬けんについて試問を受けたのち、通常、公的礼拝でその信仰を告白し、洗礼を受けるべきである。
第46条(誓約)
洗礼のとき、教師は次のようにのべる、
「小会は、何某の信仰上の知識と敬けんについて慎重に試問し、この兄弟(姉妹)を教会の交わりに受け入れることを、認めました」。
次に教師は、彼に次の誓約を求める、
「今ここに、洗礼を志願するあなたは、次の信仰を告白し、誓約をしなければなりません。
これにより、あなたは神と教会とのおごそかな契約に入れられるのであります」。
この際の誓約は、第四十九条2項に準ずる。
第7章 信仰告白式
第47条(教会の配慮)
見える教会のうちに生まれた子、またとくに洗礼において神にささげられた子は、教会の配慮のもとにおかれる。教会は彼らに、神を愛し、主イエス・キリストに従い仕えるよう、教えなければならない。子が分別年齢に達したときに、彼らは生まれながらの特権によって教会の会員であること、および自分の信仰によってキリストを受け入れ、告白し、陪餐への認可を願うことが彼らの義務であり、また特権であることを、教会は強く思いおこさせなければならない。
第48条(試問)
子がいつ分別年齢に達するか、その時期は正確には決定できない。この判断は、小会にまかされる。
小会は、信仰告白志願者の信仰上の知識と敬けんについて試問しなければならない。
第49条(誓約)
信仰告白式は、通常、教会の公的礼拝において執行されるべきである。
1、そのとき、教師は次のようにのべる、
「小会は、契約の子として幼児洗礼を受け、両親(または他の責任ある人)によって神にささげられた者のうち、何某を試問し、この兄弟(姉妹)が今や聖徒の交わりにおける充分な特権と責任をもつにふさわしいことを、認めました」。
2、教師は、信仰告白をする者に対して、次のようにのべる、
「あなたは、次の信仰を告白し、誓約をしなければなりません。これにより、あなたは神とその教会とのおごそかな契約に入れられるのであります。
(1) あなたは、天地の造り主、唯一の生けるまことの神のみを信じますか。
(2) あなたは、自分が神のみ前に罪人であり、神の怒りに値し、神のあわれみによらなければ、のぞみのないことを、認めますか。
(3) あなたは、主イエス・キリストを神のみ子、また罪人の救い主と信じ、救いのために、福音において提供されているキリストのみを受け入れ、彼にのみ依り頼みますか。 (4) あなたは今、聖霊の恵みに謙虚に信頼し、キリストのしもべとしてふさわしく生きることを、決心し約束しますか。
(5) あなたは、最善をつくして、教会の礼拝を守り・その活動に奉仕し・教会を維持することを、約束しますか。
(6) あなたは、日本基督改革派教会の政治と戒規とに服し、その純潔と平和とのために努めることを、約束しますか」。
3、誓約ののち、教師は祈りをささげ、彼に次のように宣言する、
「あなたは、今ここに信仰を告白し(洗礼を受け)ました。それゆえ、あなたは、神の教会のすべての特権を与えられ、聖餐の礼典にあずかることができます」。
第8章 聖餐式
第50条(時機)
聖餐すなわち主の晩餐は、しばしば守られなければならない。小会は、その時機を、とくに建徳のために判断して決定すべきである。
第51条(準備)
この礼典を執行する場合には、少なくとも一回前の主の日に予告をし、聖餐の性質を教え、適当な準備をもって陪餐できるように、すすめなければならない。
第52条(制定のみ言葉)
この礼典を執行するときに、教師は、福音書またはコリント人への第一の手紙第十一章から聖餐のみ言葉を読み、そのみ言葉を適切に解明適用して、次のことをあきらかにする。
1.これはキリストが制定された礼典である。
2.これは、キリストが再びこられる時まで主の死を告げ知らせるために、キリストの記念として守られるべきである。
3.これは、キリストの民を罪との戦いにおいて強め、患難のもとで支え、義務の遂行へとはげまし、愛と熱心に燃やし、信仰ときよい決心を囲め、良心の平安ととこしえのいのちの望みをいだかせるのに、はかりしれない恵みがある。
第53条(陪餐への招き)
教師は、自己の罪を悔い・救いのために主イエス・キリストに信頼し・キリスト者としてふさわしく生きることを願うすへての陪餐会員が、聖餐にあずかるように招く。この礼典は、主の定めによって信者の交わりを表わすものであるから、教師は、福音主義諸教会の列席陪餐会員をも招く。
第54条(配餐)
パンとぶどう酒を卓上におき、適当におおいをする。陪餐者は秩序正しくおごそかに集まり、配餐奉仕者も適当な位置につく。
そこで教師は、祈りと感謝をもって、二品を聖別する。
そののち教師は、信者の前でパンを取って裂き、次のように言って分配する。
「わたしたちの主イエスは、渡される夜、パンを取り、感謝してこれを裂き、わたしが今イエスの名によってこのパンをあなたがたに与えるように、その弟子たちに与えて言われた、『取って食べよ。これは、あなたがたのために裂かれたわたしのからだである。わたしを記念するため、このように行ないなさい』」。
パンを与えたのち、教師は杯を取り、次のように言って分配する、
「わたしたちの救主は、同じように杯を取り、感謝して、今イエスの名によって与えるように、杯を弟子たちに与えて言われた、
『この杯は、罪のゆるしを得させるように、多くの人のために流すわたしの血で立てられた、新しい契約である。みな、この杯から飲め』」。
第55条(陪餐の態度)
聖餐の二品が分配されているあいだ、陪餐者は、無言の交わり・感謝・とりなし・および祈願をもって過ごすことがふさわしい。
第56条(陪餐の感謝)
感謝の祈りののち、賛美歌を歌い、祝祷をもって終わる。
この礼典と関連して、小会の指示により、貧者または他のきよい目的のための献金をなすことも、適切である。
第9章 結婚式
第57条(結婚の制定)
結婚は、礼典でも、キリスト教会特有のものでもないが、神的制度である。すべての国家が法律をつくり、社会の福祉のために結婚を規正することは、正しいことである。
第58条(司式)
キリスト者は、主にあって結婚すべきであるから、結婚するときには、教師が司式をし、結婚について教え、適切な祈りをささげることがふさわしい。
第59条(一夫一妻)
結婚は、神の言葉に従って、一人の男子と一人の女子のあいだになされるべきである。
第60条(撰択)
両人は、自分で撰択ができる分別年齢に達しているべきである。もし当事者が未成年であるならば、あらかじめ保護者の同意が必要である。教師は結婚式の前にそのことを確認しなければならない。
第61条(親の配慮)
親は、本人の意志に反して結婚するように強制してはならず、また正当で重大な理由なしに反対してはならない。
第62条(公的性質)
結婚は公の性質を有し、社会の安寧・家庭の幸福・キリスト教の信用に深い関係がある。それゆえに結婚式は、あらかじめ公表しなければならない。教師は、当事者たちが神の律法と国家の法律にそむかないように注意し、また家庭の平和のために、正当な反対のないことを確認する義務がある。
第10章 病人への配慮
第63条(祈りと通告)
信仰による祈りの力は偉大である。それゆえ、キリスト者は、病人が神のみ恵みの手に支えられるよう懇願し、回復への適切な手段に神の祝福があるように祈るべきである。
病人がある場合、教師・役員・信者がともに病人のために祈ることができるように、教師または役員に知らされなければならない。
第64条(訪問)
教師が病人をたずね、彼らの肉体的・精神的・霊的益のために奉仕することは、教師の特権また義務である。この義務の遂行にあたっては、教師は病人の種々の境遇に応じて、分別を働かせなければならない。
第11章 葬式
第65条(内容)
葬式は、通常、教師によって次のように行なわれる。
1.適当な賛美歌を歌うこと。
2.適切な諸聖句を朗読して説教をそえること。
3.とくに遺族をおぼえて、彼らが悲しみにあって支えられ・慰められ・また苦しみが祝福されて霊的益となるように、彼らのため、神の恵みを祈り求めること。
第66条(目的)
葬式の本来の目的は、神への礼拝・遺体の葬り・地上にある者への慰めである。従って、死者のために祈ること、供えること、また死者に語りかけることなどの異教的慣習を警戒しなければならない。
第67条(埋葬)
遺体は、法律に従い、復活ののぞみをもつ者にふさわしく、丁重に扱い、埋葬しなければならない。
第12章 断食の日と感謝の日
第68条(根拠)
神の摂理の導きによって、断食の日と感謝の日を守ることは、聖書的であり、理性にもかなったことである。
第69条(範囲)
断食の日と感謝の日は、個々の信者・家庭・特定の教会・隣接諸教会・中会内の全教会・大会内の全教会などによって守られる。
いつ守るべきかは、それぞれその個人・家庭・小会・中会・大会の判断にまかされる。
第70条(断食の日)
断食の日には、この日を守ることを必要とした事柄について、普段よりもいっそう強くおごそかな祈り・あるいは罪のざんげをなすべきである。
第71条(感謝の日)
感謝の日には、この日を守ることを必要とした事柄について、普段よりもいっそう強く賛美を歌って、その場合にふさわしく感謝をささげるべきである。しかし、その喜びが度を過ごして、敬けんな精神を失ってはならない。
第13章 家庭における宗教
第72条(個人礼拝)
公的礼拝のほかに、個人的に神を礼拝する義務が、われらの主によって明らかに命令されている。すべての信者は、時をさいて、個々に祈り・聖書を茂み・めい想と反省をなすべきである。
第73条(家庭礼拝)
家庭礼拝は、すべてのキリスト者家庭の義務であって、賛美歌・聖書朗読・祈りなどからなる。
第74条(家庭教育)
親は、そのこどもや使用人を神の言葉とその原理に立って教えるべきである。信仰の良書を読ませ、また信仰教育のためにあらゆる機会を用いるべきである。
第75条(生活の模範)
親は家族の前に、敬けんと健全な生活の模範を示すべきである。主の日には、不必要な私的訪問や家庭の霊的生活に有害な行動にふけることは、避けなければならない。
第76条(教会との協力)
信仰教育の至上の任務をはたすにあたって、親は、教会学校や礼拝の規律正しい出席の模範を示すこと、こどもの教課の準備を助けること、福音の教えに従って生活するよう指導することなどによって、教会と協力しなければならない。
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