日本キリスト改革派教会文書資料 > 創立宣言 20周年宣言 30周年宣言 40周年宣言 50周年宣言 60周年宣言 70周年宣言 日本基督改革派教会 創立40周年記念宣言 |
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序 文私たち日本基督改革派教会は、創立40周年にあたって、「日本基督改革派教会 信仰の宣言」を公に表明いたします。この宣言によって私たちは、創立以来祈り求めて来た新信条作成への準備作業の具体的な第一歩を踏み出すことになりました。 日本基督改革派教会は、その創立にあたって、左記の前文を附してウェストミンスター信仰告白並びに大小教理問答を信仰規準として採用しました。この背景には、旧日本基督教会およぴそれに続く戦時下の日本基督教団を経て、ついに日本基督改革派教会が創立されるまで、信条問題をめぐって創立者たちによって戦われた、長い苦闘に満ちた信仰的神学的な歴史があったのであります。私たちは今、日本基督改革派教会創立40周年を記念するにあたり、教会の創立とウェストミンスター信仰基準の採用に至るまでにあった神の不思議な導きと、創立以来ウェストミンスター信仰基準を用いて神が私たちの教会に与えて下さった数々の恵みと祝福とを覚え、栄光と讃美と感謝とを教会のかしらである私たちの主イエス・キリストの父なる神にささげるものであります。 日本基督改革派教会信仰基準ノ前文 神ガ己ノ教会ニ与ヘ給ヒシ神ノ言ナル旧新両約ノ聖書ハ教会ノ唯一無謬ナル経典ナリ。 聖書ニ於イテ啓示セラレタル神ノ言ハ教会ニヨリ信仰告白セラレテ教会ノ信仰ノ規準トナル、是教会ノ信条ナリ。 教会ハ古ヘヨリ使徒信条、ニカヤ信条、アタナシウス信条、カルケドン信条ナル四ツノ信条ヲ教会ノ基本的、普遍的信条トシテ共有シ来レリ。宗教改革時代ニ至リ、改革派緒教会ハ其等諸信条ノ正統信仰ノ伝統ニ立チ且ツ是等ニ止ラズシテ純正ニ福音的、否全教理ニ亘リ更ニ純正ニシテ且ツ優レテ体系的ナル信条ノ作成ニ導カルルニ至レリ。 其ノ三十数個ノ信条ノ中ニテウエストミンスター信仰基準ハ聖書ニ於イテ教ヘラレタル教理ノ体系トシテ最モ完備セルモノナルヲ我等ハ確信スルモノナリ。 我等日本基督改革派教会ハ我等ノ言葉ヲ以テ更ニ優レタルモノヲ作成スル日ヲ祈り求ムルト雖モ此ノ信仰規準コソ今日我等ノ信仰規準トシテ最適ノモノナルヲ確信シ讃美ト感謝ヲ以テ教会ノ信仰規準トス。 私たちは、この前文の趣旨において深い感謝と確信とをもってウェストミンスター信仰基準を採用したものでありますが、この決定が誤りでなかったことを日本基督改革派教会の40年の歴史と経験を通して、いよいよ確信させられるものであります。最初の20年間は、ウェストミンスター信仰基準の翻訳、出版、そしゃくと吸収に努力を傾注しました。しかし、それと共に、私たちは前文に示されている「我等日本基督改革派教会ハ我等ノ言葉ヲ以テ更ニ優レタルモノヲ作成スル日ヲ祈り求ムル」という重要な課題についてもこれを決して忘れることはなかったのであります。 日本基督改革派教会創立20周年宣言は、この課題を再確認し、「われらは、教会のこの神学的戦いが、われらの言葉によるわが教会の信条として、神と世の前に告白されることを期待する」と明言しました。これをうけて、1969年第24回大会は、「日本基督改革派教会信仰告白および信仰問答書作成にいたるスケジュール検討」を憲法委員会第一分科会に命じ、1972年第27回大会において「新信条作成への道のり」という委員会報告をうけました。この報告の線に沿って、1976年には日本基督改革派教会30周年記念宣言を作成しました。この宣言は、「創立宣言の主張の第一点を展開することを主眼とし、新信条作成のスケジュールの中に組み込んで、教会と国家についての信仰の宣言を行なった」ものであります。 私たちは、これらの作業を通して、新信条作成の前段階として信仰の宣言を一つ一つ積み重ねていくことが、新信条作成に至る最善の道であることを確信するに至りました。こうして、1978年には「聖霊について」、「福音の宣教について」、1983年には「聖書について」の信仰の宣言が起草されました。私たちは、日本基督改革派教会40周年にあたって、この四つを一つにまとめ、「日本基督改革派教会 信仰の宣言」として採択することにいたしました。私たちは、これらの主題が日本伝道と日本における教会形成と教会の社会的証しにとってまことに重要なものであることを確信するものであります。 信仰の宣言の作成が今後も次々と続けられ、私たちの祈り求める新信条が完成し、ウェストミンスター信仰基準にこの新信条を加え、この両者をもって日本基督改革派教会の信仰規準とする日が実現することを、私たちは待ち望むものであります。神がこの新信条完成に至るまでの道を備えて下さり、私たちの祈りとわざとを祝して下さいますように祈ります。 願わくは、私たちの主また救い主イエス・キリストの恵みと知識において私たちをますます豊かにして下さる神に、栄光が、今も、また永遠の日に至るまでもありますように、アァメン。 主の1986年4月29日 日本基督改革派教会創立40周年記念臨時大会 説 明 一、日本基督改革派教会信仰規準の定義 1、信仰規準は教会規程(政治規準・訓練規定・礼拝指針)と共に日本基督改革派教会憲法を構成する。 2、信仰規準はウェストミンスター信仰告白並びに大・小教理問答よりなる。 3、信仰規準は教会役員の任職式における誓約事項であるが、信仰告白式、成人洗礼式における教会員の警約事項ではない。 4、教会役員は、信仰規準を聖書の真理を体系的に示すものとして、誠実に受け入れなければならない。 1の註 政治規準 第百五十条 2の註 改革派創立宣言 訓練規程第十条 3、4の註 政治規準 付則 二、日本基督改革派教会信仰規準の前文の内容 1、聖書と教会(聖書は教会の唯一無謬の経典) 2、教会と信条(聖書を規範とする教会は信条を必然的に生産する) 3、四つの基本的、普遍的信条(正統教理の規準 三位一体の神と二性一人格のキリスト) 4、改革派諸信条の成立(正統的・福音的・改革派的教理の体系) 5、ウェストミンスター信仰基準の採用(採用の理由 1、聖書ニ於イテ教ヘラレタル教理ノ体系トシテ最モ完備セルモノ 2、今日我等ノ信仰規準トシテ最適ノモノ)(採用の姿勢 我等ノ言葉ヲ以テ更ニ優レタルモノヲ作成スル日ヲ祈り求ム) 三、新信条の作成について 1、ウェストミンスター信仰基準は聖書において教えられている教理の体系として最も完備したものであることを私たちは確信する。 2、私たち日本基督改革派教会は、私たちの言葉をもって新信条の作成される日を熱心に祈り求めつつ、具体的な準備を進めるべきである。 3、ウ信仰基準は新信条の土台となるものであるから、先ずこれを研究・そしゃくすることが急務であるが、また、新信条作成の準備作業を進めることによってウ信仰基準の理解も一層深められる。 このことによって、ウ信仰基準の真理性と信条的価値とは減少することなく、かえって私たちの信仰規準として適切なものであることが一層明らかになると私たちは信じる。 4、各国の改革派諸教会は、各々の具体的な信仰の戦いの中で自分の信仰を告白してきた、私たち日本基督改革派教会も、私たちの言葉をもって主体的に自己の信仰を告白すへきである。 5、信仰告白の永続的価値と共に、その特定の時代的・歴史的制約という両面が正当に考慮され なければならない。 ウ信仰基準が作成された17世紀の英国と現代日本との社会的・文化的・宗教的状況の隔たりのゆえに、真理の適用とその表現において変更が必要とされる。そこで日本基督改革派教会は、ウ信仰基準に提示されている聖書的真理を、この国とこの時代の具体的な信仰の戦いの中で私たちの言葉をもって一層適切に表明すべきである。 6、ウ信仰基準は先行する多くの改革派緒信条の成果をふまえて作成された。新信条も一気に生まれるものでなく、多くの試みを積み重ねた後、はじめて「ヨリ優レタルモノ」が与えられることを期待すべきである。 7、新信条が完成した時、ウ信仰基準と新信条の両者をもって、日本基督改革派教会の信仰規準とする。 四、日本基督改革派教会の「宣言」の定義(第29回大会決議) 1、大会の宣言は、わが教会の歩みを総括し、時代の課程を受けとめて将来に前進するわが教会の目標について、大会的同意をつくり出し、表明したものである。 2、「創立宣言」は、「改革派教会の主義宣伝」、「我らの立場の宣揚」を目的とし、「創立20周年記念宣言」は、「改革派教会創立宣言と過去の実績を照合し、検討のすえ、新方式を打ち出す」ものであり、「創立30周年記念宣言」は、「創立宣言の主張の第一点を展開することを主眼とし」、「新信条作成のスケジュールの中に組み込んで」、「教会と国家についての信仰の宣言」を行なうものである。 3、宣言は大会的同意の表明ではあるが、役員任職誓約事項ではないので、憲法とは異なり、また、具体化のために会議における提案と決議とを必要とするので、一般の大会決議事項とも異なる。 五、日本基督改革派教会信仰の宣言について 1、私たちは新信条作成の準備作業として、信仰の宣言の作成を行なう。 2、信仰の宣言は、ウ信仰基準に示された教理体系との一致において解釈されなければならない。 3、信仰の宣言は、現代における日本基督改革派教会の信仰の公的表明であると共に、私たちが祈り求めている新信条作成のための資料となる。 4、信仰の宣言は信仰規準としての権威を持たないので、教会役員任職式における誓約事項ではない。 5、日本基督改革派教会創立四十周年に出される信仰の宣言は、一、聖書について、二、聖霊について、三、福音の宣教について、四、教会と国家について、の四項目を含む。 (1) 聖書についての信仰告白は、ウ信仰告白中の最高傑作であって、十節にわたって充分に、最も詳しく述べられている。それで、ウ信仰告白の本文に並べて、追加し、あるいは拡張し、あるいは説明し変える宣言文を併記するにとどめた。 (2) 聖霊については、ウ告白本文に充分盛られていて特に追加する必要はない程であるが、各章に分散して告白されているので、これを一章にまとめて体系的に信じ易くした。 (3) 福音の宣教については、ウ告白に一章として扱われていないので新しく追加した。 (4) 教会と国家の関係は、国柄や時代の違いによって変わるので、米国の長老派でも本文改訂がなされ、私たちの教会も改訂本文を採用したが、それでもなお不充分である。それで、信仰の宣言では特に詳しく書かれている。靖国法案反対の戦いなどのため、明確に原理を確認する必要が出て来たからである。
一、聖書について |
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ま え が き
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自然啓示の実在と不十分性 | |
一 本性の光、および創造と摂理のみわざは、人間を弁解できないものとするほどに、神の善と知恵と力とを表すとはいえ、しかしそれらは、救いに必要な神とそのみ旨についての知識を与えるには十分でない。 |
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超自然啓示の実在・文書化・聖書の必須性 | |
従って主は、いろいろな時に、いろいろな方法で、御自身の教会に対して御自分を啓示し、み旨を宣言し、また後には、その真理を一層よく保存し広げるためと、教会を肉の腐敗と悪魔や世の敵意に対して一層確立し慰めるために、その同じことを全部文書に委ねることをよしとされた。このことは、神がその民にみ旨を啓示された昔の方法が今では停止されているので、聖書を最も必要なものとする。 |
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超自然啓示の契約的構造 | |
父・子・聖霊なる神は、見えるものも見えないものも、天地のすべてのものを創造し、また人間を神のかたちに創造して、これと命の契約を結ばれた。それは、人間が神をあがめ、神に仕え、神に寄り頼み、神との交わりのうちに生きるためであった。しかし人間は、禁じられた木の実を食べる日には死ななければならない、と明らかに威嚇された神の戒めに背いて、堕落した。 |
第一スコットランド1、同2 |
救拯的内容 | |
神は、人間が堕落した後、再びアダムを求め、その名を呼び、その罪を責め、有罪の宣告をし、しかも女のすえは蛇のかしらを砕くとの喜ばしい約束、すなわち彼は悪魔のわざを打ち砕くであろうとの約束を与えられた。 |
同4、ハイデルベルグ19 |
統一性 | |
この約束は、たびたび繰り返され、次第に明らかにされてきた。すなわち、アダムからノアヘ、ノアからアブラハムへ、アブラハムからモーセへ、モーセからダビデへ、そしてついにキリストの受肉に至るまで、信仰の父祖たちは皆、キリスト・イエスの日を望み見て喜びにあふれたのである。 |
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多様性 | |
神は、アダムからキリスト・イエスの到来までのあらゆる時代に、その教会を保ち、導き、増し加え、教会にみ言葉を与えて死より命に呼び返された.すなわち、神はアブラハムを選んでカルデヤのウルから召し出し、彼とその子孫に契約を与え、そのすえを増し加え、エジプトにおいて一つの民族となるに至るまで養われた。 |
第一スコットランド5 ローマ11:5、イザヤ53、Tコリント1:24、箴言8、ダニエル7:13、マラキ3:1 |
人格的言キリスト | |
時満ちて、神は、その御独り子を世に遣わされた。神の人格的み言葉そのものであるキリストは、御自身の受肉と公生涯、十字架と復活とによって、神のみ旨をこの世に充分に啓示し、こうしてすべての預言と啓示に終りを告げられた。 |
ガラテヤ4:4、第一スコットランド6、改革長老証言1:1、ジュネーブ39、ヘブル1:1,2 |
聖書 | |
復活の主イエス・キリストの昇天と、代りの助け主聖霊の派遣、キリストのからだ・聖霊の宮である教会の建設に伴い、キリストの福音は、使徒たちの宣教を通して全世界に宣べ伝えられ、キリストを証言する神のみ言葉である聖書は完結し、教会に委ねられた。 |
ヨハネ14:16、エペソ1:23、2:21,22、Tコリント3:16、ヨハネ5:39 |
聖書と教会 | |
真理の柱・真理の基礎である教会は、委ねられたキリストのみ言葉を宣べ伝えつつ、主の再び来られるのを待ち望む。 |
Tテモテ3:15、ローマ10:17 |
新啓示の否定 | |
従って、主イエス・キリストの栄光ある再臨の時まで、いかなる新しい啓示も、もはやあり得ない。 |
マルコ13:6,21,22、Uテサロニケ2:2,3、黙示2:25、3:8,11 |
正典 | |
二 聖書、すなわちしるされた神のみ言葉という名の下に、今では、旧新約のすべての書が含まれている。それらは次のものである。 |
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旧約 | |
旧約聖書では、創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記、ヨシュア記、土師記、ルツ記、サムエル記上、サムエル記下、列王記上、列王記下、歴代志上、歴代志下、エズラ記、ネヘミヤ記、エステル記、ヨブ記、詩篇、箴言、伝道の書、雅歌、イザヤ書、エレミヤ書、哀歌、エゼキエル書、ダニエル書、ホセア書、ヨエル書、アモス書、オバデヤ書、ヨナ書、ミカ書、ナホム書、ハバクク書、ゼパニヤ書、ハガイ書、ゼカリヤ書、マラキ書。 |
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新約 | |
新約聖書では、マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネによる福音書、使徒行伝、パウロのローマ人への手紙・コリント人への第一の手紙・コリント人への第二の手紙・ガラテヤ人への手紙・エペソ人への手紙・ピリピ人への手紙・コロサイ人への手紙・テサロニケ人への第一の手紙・テサロニケ人への第二の手紙・テモテヘの第一の手紙・テモテヘの第二の手紙・テトスへの手紙・ピレモンヘの手紙、ヘブル人への手紙、ヤコブの手紙、ペテロの第一と第二の手紙、ヨハネの第一・第二・第三の手紙、ユダの手紙、ヨハネの黙示録。 |
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霊感 | |
これらはみな、神の霊感によって与えられており、信仰と生活の規準である。 |
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両約の統一性 | |
旧約聖書と新約聖書の双方において、永遠の命が、神と人との間の唯一の仲保者、真の神にして真の人なるイエス・キリストによって、人類に提供されている。 |
アイルランド82、Tテモテ2:5 |
キリスト証言 | |
すなわち、来たるべきキリストについてモーセと預言者たちとは証しし、時満ちて来たり、やがて再び来たるべき主イエス・キリストについて、福音書記者たちと使徒たちとは証しする。旧約と新約、預言者と使徒、という二重にして一つの完結した証言を通して、キリストのみたまが無謬の証言をされる。 |
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今の生ける言 | |
従って、旧新約聖書はそこにおいて神が、み子イエス・キリストを通し、みたまによって、私たちに今語っておられる、神の生けるみ言葉であり、信仰と生活の唯一の誤りなき基準である。 |
ウ告白1:10、第二スイス1:1、Tペテロ1:23 |
外典 | |
三 普通に外典と呼ばれる書は、神の霊感によるものではないから、聖書正典の一部ではない。従って神の教会内では何の権威もなく、ほかの人間的な文書と違ったどのような仕方ででも是認されたり使用されてはならない。 |
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無霊感 | |
旧約聖書のヘブル語正典にはなく、七十人訳ギリシア語聖書にある旧約外典と呼ばれる書物は、神の霊感によるものではなく、主イエス・キリストを証ししてはいない。 |
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無権威 | |
従って、旧約外典は、聖書正典の一部を成すものではなく、神の教会では、何の権威もないので、これを第二正典と呼ぶこともできない。 |
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益 | |
しかし、旧約外典は、ほかの人間的な文書と同様の使用には耐えうるので、たとえば、旧約と新約との中間時代の空白を埋める歴史的資料としては、益がある。 |
マタイ16:14(第二マカベア2:1-7、15:13-16)、ヨハネ10:22(第一マカベア4:52-59、第二マカベア1:18-35、10:1-8)、ヘブル11:38(第一マカベア2:28-30、第二マカベア6:11) |
聖書権威の源泉 | |
四 聖書がそのために信じられ服従されねばならないところの聖書の権威は、どのような人間や教会の証言にも依拠せず(真理そのものであり)その著者であられる神に、全く依拠する。従って聖書は、神のみ言葉であるという理由から、受けいれられなければならない。 |
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権威の範囲 | |
旧新約聖書全体は霊感による神の作品であるから、その神的権威と全き信頼性とは、聖書全体に及んでいる。 |
Uテモテ3:16、ルカ1:1-4、ヨハネ10:35、マタイ5:18、Uテモテ3:15、ヨハネ20:31 |
内容の信頼性 | |
また、この聖書は、堕落した罪人に、救い主イエス・キリストに対する信仰によって救いに至る知恵を与えることを目的とし、イエス・キリストにおける神の歴史的贖罪事業に関する啓示を内容としている。従って、全聖書の内容である贖罪的救拯的使信の全体が神的充全的権威と信頼性とを帯びているのである。 |
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キリストの権威へのコミットメント | |
また、贖い主イエス・キリストは、今日、御自身のみ言葉である聖書において、また聖書を通してのみ、御自身の教会に語られる。真の教会は、みずからの花婿であり牧者であるキリストの権威あるみ声にのみ、常に全き信頼をもって聞き従い、それに対してみずから主となることをせず、またほかの人々の声に耳を貸すことをしない。 |
ウ告白8:8、ウ小教理24、第一スコットランド19、ベルン1 |
権威の証拠・外的・内的 | |
五 私たちは、教会の証言によって、聖書に対する高く敬けんな評価へ動かされ、導かれることがある。 |
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神的 | |
しかしそれにもかかわらず、聖書の無罪の真理と神的権威に関する私たちの完全な納得と確信は、み言葉により、またみ言葉と共に、私たちの心の中で証言される聖霊の内的なみわざから出るものである。 |
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救拯的拡がり | |
聖書の無謬の真理と神的確威とに関する聖霊の内的証言は、信じる者の心のうちに働くキリストのみたまのみわざ全体から孤立してなされるものではない。 |
ウ告白14:1、11:2 |
キリスト信仰との関連性 | |
また、救拯的信仰においては、聖書への信頼はキリスト信仰と結びついていて、切り離すことができない。すなわち、この信仰によってキリスト者は、み言葉において語られる神御自身の権威のゆえに、そこに啓示されている事をすべて真実であると信じ、それぞれ個々の章句が含んでいる事柄に応じて、異って応答する。すなわち、命令には従い・威嚇にはおののき、今と後の世の命についての約束はこれを信じる。しかし、救拯的信仰のおもな行為は、義認と聖化と永遠の命のために、恵みの契約に基づいて、ただキリストのみを認め、受けいれ、寄り頼むことである。 |
ハイデルベルグ21、ウ告白14:2 |
目的にとっての完全性 | |
六 神御自身の栄光、人間の救いと信仰と生活のために必要なすべての事柄に関する神の御計画全体は、聖書の中に明白に示されているか、あるいは正当で必然的な結論として聖書から引き出される。その上には、みたまの新しい啓示によっても、人間の伝承によっても、どのような時にも何ひとつ付加されてはならない。 |
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霊的啓明・分別理性の位置 | |
それにもかかわらず、私たちは、み言葉の中に啓示されているような事柄の救拯的理解のためには、神のみたまの内的啓明が必要であること、また神礼拝と教会統治に関しては、常に守るべきみ言葉の通則に従い、本性の光とキリスト教的分別とによって規制されなければならない、人間行動と社会に共通のいくつかの事情があること、を認める。 |
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目的にとっての十分性 | |
聖書は聖霊の学校であって、そこには、神御自身の栄光、人間の救いと信仰と生活のために知らねばならず、また知って益あることは何一つ省略されていない。それで、この聖書に追加したり除いたり変更したりすることは、人にもみ使にも許されない。 |
キリスト教綱要3:21-3、ウ告白1:6、フランス5 |
目的と意図 | |
しかし、この聖書の充分性の教理は、聖書が与えられた目的との関係で教えられているのであるから、み言葉を学ぶに際しては、聖書記者たちが証言しているのはどういう意図によるものかを常に考慮することが、特に重要である。 |
ウ大教理157 キリスト教綱要1:14-1,4 |
範囲 | |
私たちは、み言葉において常に先立たれる神に従い行くとともに、主がその聖なるみ口を閉ざされる時には直ちに、私たちも問い尋ねることをやめなければならない。 |
キリスト教綱要3:21-3 |
明白性、多様性、必要事の明白・通常手段により接近可能 | |
七 聖書の中にあるすべての事柄は、それ自体で一様に明白でもなく、またすべての人に一様に明らかでもない。しかし、救いのために知り信じ、守る必要のある事柄は、聖書のどこかの箇所で非常に明らかに提出され、開陳されているので、学識ある者だけでなく、無学な者も、通常の手段を正当に用いるならば、それについての十分な理解に達することができる。 |
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個人解釈権 | |
すべての人は、聖書を読み、その意味を探り、聖書の教える教理を採択する権利と義務とを有する。 |
改革長老証言1:9,10 |
解釈法 | |
聖書を学ぶにあたっては、聖霊の啓明と導きとを祈り求めつつ、聖書の権威に服従し、神が授けてくださる能力と手段を十分に用い、聖書の内容や目的に注意しつつ、個人で、また信仰者の交わりの中で、熱心に真理を探らなければならない。それと共に、み言葉の教師の教えや助言、教会の信仰告白や教理問答にも、ふさわしい配慮を払わなければならない。 |
ウ大教理157、改革長老証言1:9,10 |
適用 | |
聖書の使信を理解した時には、それを信仰と愛をもって受け入れ、私たちの心のうちにたくわえ、生活において実践しなければならない。 |
ウ大教理90 |
原典・直接霊感・純粋保存 | |
八(昔の神の民の国語であった)ヘブル語の旧約聖者と、(しるされた時、最も一般的に諸国民に知られていた)ギリシア語の新約聖書とは、神によって直接霊感され、神の独特な配慮と摂理によって、あらゆる時代に純粋に保たれたので、確実である。それで、すべての宗教論争において、教会は最終的にはこれらに訴えるべきである。 |
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訳本 | |
しかし、これらの原語は、聖書に近付く権利と興味をもち、神を恐れつつ聖書を読みまた探究するよう命じられているすべての神の民に知られてはいないから、神のみ言葉がすべての者に豊かに内住して、彼らがみ心にかなう方法で神を礼拝し、聖書の与える忍耐と慰めによって希望をもつために、聖書は、それが接するあらゆる国民の言語に翻訳されなければならない。 |
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教会と訳 | |
キリスト者には、聖書に近付く多くの機会が与えられなければならない。そのために、教会は七十人訳と呼ばれる旧約の最も古いギリシア語訳を自己の聖書として採用した。その他、シリヤ語訳、ラテン語訳など各種の古代語訳を産み出し、とりわけいわゆるウルガタ訳を広く長い期間にわたって提供し、宗教改革時代に至っては、正確で力強い多<の各国語訳を聖書原典から作成するに至った。 |
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教会の責任 | |
教会は、神のみ言葉を委託されたものとして、聖書の翻訳・出版・頒布について意を用いなければならない。 |
改革長老証言1:8 |
訳本の確実性 | |
聖書は、礼拝・研究・教育・伝道など、その使用目的に応じて翻訳され、適切なものが選択され、使用されなければならない。責任をもって作成された翻訳聖書において、私たちは、確実十分に、神のみ言葉に接することができるのである。 |
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訳本の有効性 | |
神は種々の翻訳聖書を用いて、御自身のみ言葉をさまざまな歴史的文化的状況の中で語ってこられたから、今日、激動する世界のあらゆる形の人間文化の中でも、この聖書を用いて語り続けられると、私たちは信じる。すなわち、聖霊の啓明に寄り頼み、進んで神のみ言葉に聞き従う用意をもって、聖書が注意深く読まれ、また、み言葉の教師が聖書を正しく力強く熱心に説教し、会衆が信仰と愛と従順をもってこれに聞きいるところでは、神のみ言葉が今日も神の民に向かって語られているのである。 |
ウ大教理159,160、第二スイス1:4 |
無謬の解釈者・単一の意味 | |
九 聖書解釈の無謬の規準は、聖書自身である。従って、どの聖句の(多様ではなくて、ひとつである)真の完全な意味について疑問のある場合も、もっと明らかに語る他の個所によって探究し、知らなければならない。 |
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神学的解釈 | |
聖書は、キリストにおける神の和解のみわざに対するその証言に照らして、解釈されなければならない。 |
第一スイス5 改革長老証言1:1 |
文献的歴史的研究の必要 | |
従って、聖書を解釈するにあたっては、その文章が書かれた時の歴史的状況と文学様式に考慮を払い、文献的歴史的理解をもって近付かなければならない。そこで、私たちは、歴史における聖書の位置と背景、ならびに聖書の性質と目的をよりよく理解する助けとなるような聖書の研究は、これを歓迎する。 |
改革長老証言1:9,10 |
その益 | |
聖書全体が神的性格と人間的歴史的性格との両面を備えていることを、正しく認めることによって、教会は、聖書のもろもろの言葉の中に神のみ声を一層よく調きとることができるのである。 |
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論争の最高判定者 | |
十 それによってすべての宗教論争が決裁され、すべての会議の決議・古代の著者たちの意見・人々の教説・私的な霊が検討されなければならないところの、またその宣告に私たちがいこわなければならないところの至高の審判者は、聖書の中に語っておられる聖霊以外の何者でもありえない。 |
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聖書の最高判定 | |
聖書の無謬の解釈者およびすべての宗教論争の至高の審判者は、聖書の中に語っておられる聖霊以外の何者でもありえない。 |
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教会権能と個人権との関係 | |
この聖書の権威のもとに教会が奉仕的宣言的に行使する教会会議の権能と、聖書の個人的解釈の権利および個人の良心の自由とは、聖書に従って正しく行使される場合、互いに矛盾せず、破壊し合うことなく、互いに他を保持し維持して、両者は見事に調和する。 |
ウ告白31:1,3,4、20:2,4 |
信条外での自由 | |
従って、神の教会において論争が生じ、聖書の解釈と意味について容易に一致が得られない時、もしその解釈が、教会の信仰告白が教える教理の体系と矛盾しないか、あるいはそれが、信仰告白の明白に教えていない事柄に関する場合は、聖書解釈の自由と解釈の多様性とが、認められなければならない。 |
第一スコットランド18b、第二スイス2:4 |
一致の希望 | |
それは、私たちが、教会のかしらである主イエス・キリストの御約束に信頼し、真理のみたまであり一致のみたまである聖霊に導かれて、いよいよ勤勉にみ言葉を学びつつ、よりよい解釈が示される日のあることを、信仰と愛をもって待ち望むからである。 |
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祈祷 | |
アーメン。造り主なるみたまよ、来たりませ。 |
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二、聖霊について |
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一、(三位一体と聖霊) | |
み父とみ子とより出(1)、同一の本質を持ち、能力と栄光において同等である(2)三位一体の神の第三位格である聖霊は(3)、その働きにおいて、創造者なる父(4)、贖罪主なる主イエス・キリスト(5)と共に、完成者なる聖霊(6)として信じられ、愛され、服従され、礼拝されるべきである。 |
(1) ヨハ15:26、ガラ4:6 (2) マタ3:16,17、28:19、ルカ1:35 (3) Uコリ13:13 (4) Tコリ8:6、エペ3:14,15 (5) エペ1:3,14 (6) 詩104:30、エペ2:22、ヨハ14:26、16:13,14 |
二、(神の力としての聖霊) | |
神の徳力、威力また能力なる聖霊は、創造と再創造のみ業、および万物の完成のすべてにわたる神の計画の有効な推進者であり(1)、主であり、また生命を与える方であられる(2)。 |
(1) 創1:2、出31:3、35:31、民11:17、詩33:6、ヨブ32:8、33:4、イザ28:6、45:1-5、ダニ1:17、5:11、一(6)の引照を参照 (2) ヨハ3:5,6,8 (3) ガラ5:22-25、エペ5:9 |
三、(旧約時代と新約時代の聖霊の働き) | |
旧約時代には、約束のメシヤへの信仰に選民を教え育て、罪のゆるしと永遠の救いを得させるために、聖霊は、預言、犠牲、割礼、過越の小羊等の予型や規定を有効に用いられた(1)。 |
(1) ウ告白7:5、大教理34 (2) イザ11:1,2、42:1、61:1、マタ3:16、ルカ4:1,14,18、ヨハ3:34、14:26、15:26、16:7、ロマ1:4、エペ4:8,10、ガラ4:6、ヘブ9:14 (3) 使2:1-21 (4) 使2:4、4:8、Tコリ3:16、エペ2:22 (5) Uテモ3:16、Tペテ1:11、Uペテ21 (6) ヨハ16:8-11,13-15、使2:1-21、Tコリ2:10-14 (7) 使徒7:51、エペ4:30 |
四、(キリストと聖霊) | |
神のみ子キリストは、聖霊の力によって処女マリヤの胎に宿り、真実の人となり、しかも罪なくして彼女から生れられた(1)。 |
(1) ウ小教理22、大教理37、告白8:2 (2) ウ告白8:3 (3) ウ大教理42 (4) ウ大教理53,54 (5) ヨハ16:13-15、ロマ8:29、Uコリ3:17,18、ピリ3:21、Tヨハ3:2 |
五、(聖霊と教会) | |
預言者たちによって預言された約束の聖霊は、主イエス・キリストの昇天後、み父の約束の聖霊として、み子によって教会に与えられた。この聖霊の内住によってキリストと一つの霊となり、かしらであるキリストに生命的に結合されたすべての信者は、このようにして彼のからだである教会の中で相互に結び合わされる(1)。 |
(1) エペ2:14-18,22、4:1-6、Tコリ6:17、Uコリ13:13 (2) 使2:4、13:2、Tコリ12-14、ロマ12:3-8、エペ4:7-16、Tペテ4:10,11 (3) マタ28:19,20、ヨハ20:22,23、Tテサ1:5,6、Uペテ1:19-21 |
六、(聖霊と信徒) | |
み父が、求めてくるすべての者に、み子を通していつでも喜んで賜わる聖霊は、贖いの適用における唯一の有効な行為者であられる(1)。 |
(1) ルカ11:13、ヨハ7:37-39、Tコリ12:3 (2) ヨハ3:1-8、16:7-11,13、使2:38、ロマ8:14,17,25,27、Tコリ2:13-16、12:3、ガラ4:6、エペ4:30、コロ2:9,10、Uテサ2:13、テト3:5-7、Tヨハ4:2、黙22:17 |
三、福音の宣教について |
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一、(福音の一般的提供の根拠) | |
神は、無限かつ完全な愛であられ、恵みの契約において、主イエス・キリストの仲保と犠牲を通して、罪によって失われた全人類にとって十分でありかつ適合している生命と救いの道を備え、この救いを福音においてすべての人に価なしに提供される(1)。 |
(1) マタイ11:28-30、ルカ24:46,47、ヨハネ3:10、使徒2:38,39、Uコリ5:14-19、テトス2:11、ヘブル2:9、Tヨハネ2:1,2、黙示22:17 |
二、(外的召命) | |
福音において、神は、この世に対する御自身の愛はすべての人が救われるようにと望んでおられることとを宣言し(1)、唯一の救いの道を十分かつ明瞭に啓示し(2)、真実に悔い改めてキリストを信じるすべての者に永遠の生命を約束し(3)、提供されたあわれみを受け入れるようにすべての人を招きかつ命じ(4)、またみ言葉に伴う彼のみたまによって神の恵み深い招きに応じるようにねんごろに説き勧められるのである(5)。 |
(1) マタイ28:19,20 (2) 使徒4:12、Uペテ3:9 (3) ヨハネ3:37-40、17:3、使徒2:38、13:38,39,48、16:31、ロマ16:16,17、4:5、ガラ2:16-20 (4) マタイ11:28-30、マルコ14,15、使徒17:30 (5) イザヤ1:18、エゼキ33:11、ルカ13:34、黙示22:17 |
三、(福音への応答) | |
福音によってあわれみ深く提供される救いを直ちに受け入れることが、福音を聞くすべての者の義務でありまた特権である。 |
(1) マタイ10:32,33、ルカ12:47,48、使徒13:46、ヘブル2:3、10:29、12:25 |
四、(教会の世界宣教) | |
福音に啓示されている道以外に救いの道はなく(1)、また神が定められた通常の恵みの方法においては、信仰は神の言葉を聞くことによって生じるのであるから(2)、キリストは、全世界に出て行ってすべての国民を弟子とすることを自分の教会に委任された(3)。 |
(1) 使徒4:12 (2) ロマ10:13-15 (3) マタイ28:19,20、使徒1:8 (4) マタイ9:36-38、使徒13:2-4、Tコリ16:1,2、ガラ3:28、コロ1:28,29,3:16、黙示22:17 |
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