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日本キリスト改革派教会 創立宣言公認現代語訳


序言
 終戦後すでに九か月、敗戦祖国の再建はさまざまな構想と方法とによって計られているとはいえ、聖書に「主御自身が建ててくださるのでなければ/家を建てる人の労苦はむなしい。主御自身が守ってくださるのでなければ/町を守る人が目覚めているのもむなしい」(注1)とあるのは真実です。宇宙と人類を統治しておられる全知全能、 聖(きよ)さと愛のきわみである神を信じるのでなければ、国家がよく建てられ、よく保たれることはありません。

主張の第一点 ― 有神的人生観・世界観
 このたびの大戦においては、信教の自由ははなはだしく圧迫され、わたしたちの教会もゆがめられ、真理は大胆に主張されませんでした。わたしたちはこのことを神の御前に恥じ、国のために憂えています。しかし歴史を支配しておられる神の摂理により、信教の自由はついに敗戦を通して祖国日本にもたらされました。
 今後、より良い日本の建設のために、わたしたちは誠心誠意、歴史の支配者、全能かつ善のきわみである神の御心にかなう者とならなければなりません。その戒めのとおり神を敬い、隣人を愛し、ただ精神文化面だけでなく、「食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、神の栄光を現す」(注2)ことを最高の目的としなければなりません。この有神的人生観・世界観こそ新日本建設の唯一の確かな基礎であること。これが日本キリスト改革派教会の主張の第一点であり、わたしたちの熱心はここにあります。
 ただし、真正な宗教だけが国家の基礎、文化の根底であるとは、国の政治や文化活動そのものを宗教的権威の支配下に置くべきとすることではありません。とくに地上の政権と宗教との関係について、わたしたちは政教分離原則を近代国家の知恵、また聖書の教えにかなうものと信じ、信教の自由、教会の自律性を重んじます。

神の救いの計画とその実現
 そもそも人類は神の御前に一体であり、ひとしく罪の奴隷です。しかし神は罪ある人類のために、永遠の御旨にもとづく救いの計画をお立てになり、御子イエス・キリストの贖いの御業によってこれを歴史の中に実現し、永遠の命に定められている者たちに信 仰を与えて彼らを召し出し、義とし、子とし、聖化しつつ、人とともに住まわれます。これがわたしたちの信仰であり、その救いは人類の罪の起源とともに古く、人類の救いの完成の日にまで至ります。四千年の昔、神はアブラハムを選んで「信仰の父」とし、彼と契約を結び、彼の子孫を恵み(ただし不信の者は除かれました)、彼らに御自身の大いなる知恵、力、慈愛、真理をあらわされました。時が満ちて、神は御子イエス・キリストを世に遣わし、その十字架の死と復活によって救いの 基(もとい)が据えられた後ただちに、不思議な摂理により、この救いの福音はユダヤ人の不信仰を通して全世界に及びました。すなわち神の救いは旧約時代の一時的・ユダヤ民族的な枠を脱して、本来あるべき世界性を発揮し、使徒たちによって「すべての民の主、世界の光」として宣べ伝えられ、こうして新約のキリスト教会は全世界に存在するようになったのです。

主張の第二点 ― 信仰告白・教会政治・善き生活
神だけが明らかにご存じであるいわゆる「見えない教会」は全世界にわたり、過去、現在、未来のすべての歴史を通して、また地上と天上とを貫いて、聖なる唯一の公同教会として存在しています。しかし、わたしたちは地上において、この「見えない教会」の唯一性が、信仰告白と教会政治と善き生活とをそなえた一つの「見える教会」として具現化されることを確信します。これが日本キリスト改革派教会の主張の第二点です。
信仰告白信仰告白について言えば、教会は神の栄光と自らの永遠の救いとのために、信仰の問題に関して絶えず霊の戦いに励ま なければなりません。新約のキリスト教会も初代教会の時代からあらゆる異端と戦い、これにうち勝ち、真理を保持して 今(こん)日(にち)に至っています。キリスト教信仰の正しい伝統に立つことに、わたしたちは熱意を抱く者です。日本キリスト改革派教会が左記の前文を付してウェストミンスター信仰告白と大・小教理問答を信仰規準として採用する意図もここにあります。

日本キリスト改革派教会信仰規準の前文
 神が教会にお与えにな った神の言葉である旧新両約の聖書は、教会の唯一の、誤りのない経典です。聖書に啓示されている神の言葉は、教会によって信仰告白され、教会の信仰の規準となります。これが信条です。教会は昔から使徒信条、ニカイア信条、アタナシウス信条、カルケドン信条の四つを基本的・普遍的信条として共有してきました。宗教改革時代に至り、改革派諸教会はそれら諸信条の正統信仰の伝統に立ちつつ、これらにとどまることなく純正に福音的というだけでなく、全教理にわたってさらに純正であって、すぐれて体系的な信条の作成へと導かれました。そのようにして 生み出された三十数個の信条のうち、ウェストミンスター信仰規準は聖書において教えられている教理の体系として最も完備したものであることをわたしたちは確信します。わたしたち日本キリスト改革派教会はわたしたちの言葉をもってさらにすぐれた信条を作成する日を祈り求めますが、この信条こそ今日わたしたちの信仰規準として最も適したものであることを確信し、賛美と感謝をもってこれを採用します。

教会政治
 教会政治について言えば、長老主義が聖書的な教会に固有の政治形態であると信じて、わたしたち日本キリスト改革派教会はこれを厳格 に実施しようと願っています。監督制、会衆制等は教皇制とともに、人間的な見方からすればそれぞれ長所をそなえていますが、教理の純正と教会の聖さとを守るという点においては長老主義には及びません。わたしたちはたんに伝統主義的に長老主義に固執するのではありません。健全な理性の判断によっても、これこそ最良の政治形態であると判断するからです。旧日本基(きり)督(すと)教会は少なくとも教会規則上これを採用していました。

善き生活
 善き生活とは何でしょうか。わたしたちは律法主義者ではありません。また律法排棄論者でもありません。聖霊なる神がキリストの贖罪の御業にもとづいてわたしたちのうちに与えてくださる聖化の恵みは、信仰に生きる者が必ず熱心に祈り求めるべきものです。完全聖化は地上においては与えられません。わたしたちは日ごとに自らの罪の赦しを求め、また自分に罪を犯す者を赦さなければなりませんが、聖霊に導かれてたがいに罪を戒め合うことはキリストにある者たちがなすべきことです。宗教改革運動の主流である改革派教会の最大の指導者ジャン・カルヴ ァンが働いたジュネーブの教会が、信仰生活の訓練に関して模範的な実績を示したことはよく知られている事実です。

教会の公同性と一致
 このように、わたしたちは一つの見えない教会を信仰告白と教会政治と善き生活とによって「一つの見える教会」として現わし、そのことによりわたしたちの教会が唯一の聖なる公同教会に連なる枝であるとの確信に導かれ、わたしたちの救いの確かさを証ししたいと願うものです。各地にたてられている各個教会の統一は、あくまでもこれら三つの一致にもとづくべきものであり、またこの三点はたがいに深く論理的・体 系的に関わり合っているゆえに、教理と政治と生活とは不可分です。日本におけるプロテスタント各教派の完全合同を目指した教会合同運動は日本基督教団の成立により一応その目的を達成したと見る人々があります。しかし日本基督教団は今日に至ってもなお、真の意味における一つの教会となってはいません。この教会合同の不成功は、教理と政治と生活においてあるべき道を辿らなかったことの結果であると言うほかはありません。
 以上述べたところから明らかなことは、わたしたち日本キリスト改革派教会の創立は分派的精神に少しも由来するものではないということです。教会の道に従うことによって実現される公同性と一致はわたしたちが最も重んじることであり、わたしたちの教会観の真髄です。

「改革派教会」
 「改革派教会」という名称も、新たな造語であるかのように誤解されてはなりません。教会史が明らかに示しているように、改革派教会とは宗教改革によって生まれたプロテスタント教会内に組織された一群の教会に付けられた名称です。この名称によって呼ばれる教会は年代的にはすでに四百年以上の歴史を有し、ヨーロッパ大陸にあってはその四分の三を占めるプロテスタント教派中最大の教派です。しかも一時代的、または一地方的性格にとどまる教派ではありません。改革派教会は宗教改革の原則を首尾一貫して主張する真の福音主義(エヴァンジェリカル)であるだけでなく、さらに真正な公同性(カトリック)と正統性(オーソドックス)をも保有する教会であって、聖書的・使徒的教会の再現を標榜する教会です。
 イギリスやアメリカにおいて「長老教会」と呼ばれる教会はすべてこれに属しています。真に世界的・正 統的な地上教会であろうと志すこの輝かしい歴史的改革派教会の一つの枝として今日、日本人によって日本において日本キリスト改革派教会が設立されるに至ったことを、わたしたちは神の深き恵みの導きとして厚く感謝せざるを得ません。わたしたちの教会の誕生がこの国のキリスト教会の歴史に画期的な一ページとなり、源において清く正しい進展を経てきたキリスト教教理を堅持する教会として健全な発展をとげることこそ、この国と同胞に対するわたしたちの愛の最高の表現です。

世界の希望
 世界はまさに変わりつつあり、近世はすでに終止符を打たれ ています。新しい時代はもはや胎動を始めています。では、この到来しつつある時代の精神的指導者となる者は誰でしょうか。宗教はすでに力を失い、無神論的唯物史観に場所を譲ったと断言することはできるでしょうか。そうではありません。
 過去を公平に見つめる者は、世界と人類の精神文化を生み、また導いてきた最大の力が宗教であったことを否定することはできないでしょう。しかも、純正な宗教の上にのみ健全な文明は築かれてきたのです。
 ヨーロッパ文明についてこのことを見るなら、古代社会の危機に際して個人の道徳観念の腐敗や国家社会の秩序の崩壊を救い、中世文明を樹立したのはイエス・キリストの宗教(すなわち原始キリスト教)にほかなりませんでした。中世の危機に際して同じような働きをなしたのはイエス・キリストの宗教(すなわち宗教改革のキリスト教)にほかなりませんでした。今また近世文明は大きな危機に直面しています。世界は何にその救いを求めることができるでしょうか。同じくイエス・キリストの宗教(すなわち改革派のキリスト教)のほかにはありません。
 宗教改革のキリスト教は原始キリスト教の再興です。改革派教会はこの宗教改革の真理を最もよく保持する教会です。中世に原始キリスト教が、近世に宗教改革のキリスト教がそれぞれに果たした使命こそ、実に改革派キリスト教が来たるべき時代に対して負っている大いなる使命であることは、わたしたちが自負としてではなく、重い責任として痛感するところです。
 世界の希望はカルヴァン主義の神にあります。
 神よ、願わくはあなたの栄光を仰がせてください。わたしたちは与えられている一切をあなたにささげますから、あなたのみをわたしたちの神、わ たしたちの希望と仰がせてください。あなたがすでにわたしたちのうちに始めておられる大いなる御業を成し遂げてください。アーメン。

                         1946年4月29日

(注1)詩編127編1節
(注2)コリントの信徒への手紙一 10章31節



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